独白アフタータッチ

ひねくれ者のひとりごと

【010】拾月 - そうっと壮途しませんか?

 

そう-と【壮途】
希望・期待に満ちた勇ましい門出。
「−に就く」

出典:『広辞苑(第6版)』, 2006, 岩波書店

 

気がつけば10月も三週目ですね。
月ノルマ分の更新になります、よろしくお願いします。

 

〜〜〜

 

今まで月初め一日にブログを更新するように志していたけれど、今月はどうもやる気が起きませんでした。
そんな折になにかのキャラクターが

 

「いいか?詩ってのは無理して絞り出すもんじゃない。心が“今だな”って思ったら自然と書けるもんなんだよ」
的な事を言っていたのを思い出した。

 

何かの作中の、文芸部かなんかのキャラクターだったような気がするけど思い出せない……

 

この話を引き合いに出して弛みを正当化しよう、みたいなことは考えてない。本当にたまたま。いやぁ〜偶然ってあるんだな。

 

僕という人間は、勢いに任せないとエンジンがうまくかからない機能的欠陥を抱えているので、物事を小分けにして進めるのが苦手だ。

 

だから片手間でも書き終えられるブログという媒体は、とても性に合っていると思う。日々思う。

 

こう言った手前ではあるけれど、一応僕はこれでもブログと真剣に向き合っているつもりなので“片手間”という言葉には少しばかり不満を覚える。
がしかし、事実を客観的に捉えると片手間そのものなんだよな……

 

やれやれ。

 

最近はというと、いつか書こうとしている物語について、人物やら設定やらをああでもないこうでもないと、思いを巡らせている。

 

何かを考えることはとても難しいということを考えられるようになった。無知の知なり。

 

今まで半分は見栄、半分は自信を鼓舞する為にブログというものを手練手管に誇張していたけれど、結局ブログはブログでしかないことを思い出した。

 

身体的・感覚的に書き物・読み物として一行の価値が違うという事は分かるけど、どちらも行為そのものは「言葉を紡ぐ」ということに他ならないのに、ブログは書いた感じがとても浅くて軽い。

 

今までも、そして今も“なにかを書いた気”になっているだけで、いや確かに考えて書いてはいるけれど、深さや重みが物語のそれとは根本的に違う。

 

ここにあるのは内容などない、ただただ虚しい文字の羅列。
独り善がりのひとりごと、独白、モノローグ。

 

実際にここまで読んでも得るものはないし、読まなくても失うものはない。

 

「得るもの」というのが曖昧だったので、僕の思う具体例を2つ。

 

「この文章群を誰かに読んでもらう事はできるが、自ら読みたくなるような惹き付けるものはないとか、

 

「読後何かを感じさせるような、カタルシスアフォリズムの要素はない」とか。

 

別にブログでそういったものを目指していないけれど、楽しくてやっているけれど、それでも違和感はあるというか。

 

語るに落ちると言うよりは、語るだけ落ちるというか。
いや、オチてはないけれど。
(ここの「語るに落ちる」は完全に誤用、言いたかっただけ。)

 

テーマを決めずに書き始めると、決まってブログという媒体と僕の目指しているものとの軋轢の話になる。

 

それだけ無意識のうちにズレを感じているからなのか、実力不足故なのか、僕にとって命題たらしめるものだからなのか、等々。
原因として考えられることは6つくらいすぐに思いつくけれど、そのどれもがトリガーとして弱いことは分かる。実際多分違うと思う。

 

僕のブログ観が「浅くて軽い」のは少なからず僕の題材のせいでもあるだろうし、何より物語と呼べるものをまだ一つも書き切っていない奴が何を言ったところで、憶測でものを語る極悪人でしかない。

 

はたしてブログは想像通り「浅くて軽い」のか、はたまた差異などなく「深さや重み」があるのか、今はまだ神のみぞ知るところ。
此度はここらでお開きにしましょう。

 

〜〜〜

 

久々に更新しました。
誰に何を言われるでもなく、書きたい事を書き殴っているだけなのでとても楽しいです。

 

ただやっぱり、楽しいだけだといつかぽっきり飽きてしまうような気もしていて、趣味と言えども清濁併せ吞んでこそかなと最近は思っています。

 

 別に物語を作ることが“濁”という訳ではないけど、一回は体験しておこうみたいな。そんな感じ。

 

だらだらと長々と無駄話をしてしまいましたが、今度こそ終わります。チェリオ

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サムネ用